※「血のハロウィン」「聖夜決戦」をミステリとして読んだ感想です。上記エピソードの詳しい内容及び登場人物の生死に触れているため、ネタバレにご注意ください。
以前から知人が熱中していて、映画化された「東京リベンジャーズ」を見た。
実は遠い昔に原作漫画の第1話を試し読みして、趣味が合わない気がしてずっと敬遠していた。だが、口コミやファンアートを見ると、どうも血のハロウィン編は私の好きなタイプの物語ではないかと思えてならなかった。
映画2
さて、結論から言うとその期待は、予想外の方向であったが大当たりだった。
決戦での場地圭介の選択は、私にはSFミステリだったのだ。
- これ以上の抗争を止めるために
- 一虎が自分を殺したことにならないように
- どちらの陣営に殺されたことにもならないように
- マイキーが一虎を殺す理由をなくすために
- 稀咲の思惑を実現させないように
- 創設時の約束を守るために
これらを満たす唯一にして最悪の方法、たったひとつの冴えたやり方。
少年たちのアサイラムといえば、私は「尊敬する人のことを好きで慕っているキャラクター」を見るのが好きで、その意味で千冬にも興味があった。
血のハロウィンは離別の話であると事前になんとなく知ってはいたが、千冬がどんな風に場地を慕っているのかを見てみたかった。息を引き取った場地をそれでも離さずに泣きつく姿は、これが演技だということを忘れさせ、そこに本当に松野千冬という人がいるとさえ思った。
だが、もっと強固にその枠にいるのは、兄とともに生き、兄の遺したバイクに乗り、兄を殺した一虎を殺したかった、そしてその事を自らの名前に背負っている佐野万次郎だった。
見ている方も過酷だが、一虎を殴り続けるマイキーは恐らく前後編を通して最も重要なシーンだ。できれば近いうちにもう一度見に行きたい。
聖夜決戦
ついでに三ツ谷隆のビジュアルに一目惚れして、原作単行本も少しずつ読んでいる。今は15巻まで進んだ。
お顔立ちが好き。なんで不良なのにあんなに品のある雰囲気なんですか?
血のハロウィン編の次はさっそく三ツ谷が重要な役どころとなるエピソードで、この「聖夜決戦」も私に言わせればミステリである。
メイントリックである「主客転倒」の構図を、少年誌のフォーマットと不良たちの抗争に組み込んだことに着目したい。ヒントが分かりやすいため予想もつくはつくのだが、伏線は血のハロウィンどころか本編序盤のエピソードにまで遡る。メンバーの交際相手が暴行を受けた痛ましい事件を、その時は自分たち不良集団の理屈で説明していたがそこは女の子が酷い目に合わされたこと自体に怒るべきで、ああだから聖夜決戦は三ツ谷の話なのか……と回収されるあたり質が悪い。柴柚葉を慮るようで八戒ばかりに期待し、真相が見えていない。
そもそも、「武道が日向を救い出すためにタイムリープしている」という本作の筋書きもその一端を担っている。二人は対等であるはずなのに。日向の心を決めるのは日向自身であって、武道や男たちではない。八戒・柚葉を取引する大寿⇔三ツ谷、日向を取引する父⇔武道は相似形を成す。
つまり聖夜決戦で行われたのは、ホモソーシャルと家父長制の解体である。
大変遺憾ながら、神を「父」*1と呼ぶキリスト教は父権主義と家父長制、男尊女卑を強化した歴史がある。だからこそ教会が舞台となり*2、大寿は父なる神の名を讃美する。一家の長男である柴大寿が力を持ったことは、この延長とみていい。「彼なりに家族を想っている」などという弁明は通用しない、暴力は暴力だ。
ルッキズムの問題も指摘できるだろう。強い男が美しく描かれることで、八戒が長年傷を負わされていない事実がカムフラージュされる。こうして柚葉が八戒をかばって暴力を受けていたことが、家の外からは分からないよう隠蔽されてしまう。八戒が自ら語り出すまで。
故に、大寿と同じく妹のいる兄で、下のきょうだいを許し守るべきだと語る三ツ谷が、それが実は目を曇らせていたのだと気付き自ら振り払うことが必要となる。
真相を知った三ツ谷は、すぐに自分の間違いを認め、今度こそ柚葉の苦しみを正視し、彼女を「尊敬する」と伝える。
三ツ谷の良いところは、痛みを受け止められることだと思う。他者が経験してきた痛みも、自分が誰かを傷つけ追い込んだことも目を逸らさない。
マイキーの「聖夜(いのり)は終わった」とは、そういった伏線が整理され、大寿の支配が解体されることを告げる声である。彼も妹のいる兄だ。どこか天使のようだと思ったら、妹のために名乗り始めた"マイキー"はミカエルに由来するのだった*3。
最後の幕引きを龍宮寺堅が請け負うのも必然で、彼は幼い頃から生まれ育ちのそれぞれ違う女性たちと暮らしてきた。母と妹を大事にする三ツ谷に、その家族観を教えたのも彼だ。
キーパーソンであり弟を守り続けていた柚葉、自分の心を曲げなかった日向、友情から日向を助けようとしたエマ。私は聖夜決戦を女たちの物語として読みたいと思う。
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
ヨハネによる福音書 3章16節
試練や裁きを与える神も確かに聖書にあるが、「一人も死なせなかった」クリスマスは、この聖句を通して語りたい。