本格ミステリと少女の相性

綾辻行人「緋色の囁き」、西澤保彦「スコッチ・ゲーム」、皆川博子「倒立する搭の殺人」……
本格ミステリと女子校、とりわけ寄宿舎は、なぜか相性が良い。
女子校でなくとも、芦辺拓「時の密室」など、「少女性」をうまく利用したトリックも存在します。「狂人の論理」にも通じる一種独特の理念を持って生きる少女たちの、その「少女」たる所以は何でしょうか。
そんなことを考えているうち、良い本を見つけました。

「少女」の社会史 (双書ジェンダー分析)

「少女」の社会史 (双書ジェンダー分析)

本書に、私の疑問に答えうる箇所がありました。

結婚して子どもを産むということは学問の有無と関係なく、中間層の女性にとって当然なすべき役割であった(引用者中略)。そのため、子どもを産み育てる母としての生き方と、学問を身につける「少女」としての生き方の間に断絶が生じることになる。結果、「少女時代」の先の時代はなくなり、「少女時代」はそれのみで完結するような特別な時代として意味づけられることになったのである。
(p.54)

それにしても、少女たちの憧れていた職業達成の世界と、結婚して良妻賢母になるという現実の世界、この二つはなんとかけ離れた世界であろうか。「少女」という時代が女性の一生の中で特異な位置を占め、幼女時代とも既婚女性時代ともつながらない宙吊りの時代であるのも無理はない。少女たちは「少女」でいる間は華やかな芸術家に憧れ、それに向かって勉強に励むことができる。しかし女学校を出て「少女」でなくなった後は、芸術家やスターはおろか、職業達成さえままならない世界が少女たちを待っていたのである。
                              (p.130)

ズバリだよ!
つまり上のような理由から、個人/コミュニティ/集団を問わず、少女という存在は社会から隔絶されている訳です。
社会からの隔絶――孤島、嵐の山荘、前時代的なガジェット、時代錯誤な遺産相続殺人が設定しにくくなってしまった夢の空間が、少女には残されている。
しかも、「それが終われば一つの物語が完結して、続きは出てこない」という点でもまるっきり相似形です。
加えて、さまざまな矛盾にさらされる少女たちの思想や理念は、微妙な屈折を孕んでいます。これは前述したように、「狂人の論理」にも通じます。
だから少女性と本格ミステリは相性が良いのです。


少女ジェンダー研究は初めて読みましたが、結構いろいろ本が出ているんですね。自分自身も少なからず少女趣味なので興味がありますし、かたっぱしから読んでみようかな。