はじめに -人称(視点)の区別とキャラクタ設定
ミステリに限って言えば、どの人称から描くかは、プロットに必要な情報をいつ/どのように/どの程度分かりやすく提示するか、を選択する手段だと思っている。この点、ミステリにおける記述視点の区別は、小説的な面白さや語り口の楽しさとは別に存在することになる。
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では、小説的な必要性から産まれたのではないキャラクターの人物造型(キャラ設定)とはどのような意味を持つのか。
キャラクタ設定による制限
本格ミステリと探偵の関係について、私個人の好みから言えば「その探偵が担当する必然性のあるお話」が理想である。
キャラはプロットのために作られて、キャラのためにプロットが制限される。このような「探偵≒プロット」の関係がキチッと生かされてるミステリを書くのが抜群に上手いのは、麻耶雄嵩と西澤保彦である。
麻耶雄嵩は作品に突飛な設定を用いているが、たとえば「メルカトルと美袋のための殺人」や「貴族探偵」に顕著なように、そのキャラクタ設定とプロットが対応したミステリを多く書きあげている。余談だが私は麻耶雄嵩に出逢うまで、助手は影の薄い人物が多いと思っていたので、「探偵-助手≒プロット」を成立させる香月実朝には衝撃を受けた。
西澤保彦は、言うまでもなくSF作品のキャラクタに「探偵≒プロット」の関係が見られる。また、現実ロジックによるものでも匠千暁の飲んだくれ推理が実は「酒でも飲まなければやっていられない推理」であるように、作品内で展開されるロジックと探偵役割とが対応している。
このようにシリーズの場合、キャラクタ特性のためにプロットに制限が生じる。
反対に、シリーズであってもキャラの造形を曖昧にすることで、プロットを選ばない探偵を作ることも出来る。これは法月綸太郎が自ら探偵(作中の綸太郎)に「無色透明」と表していた。
しかし「雪密室」ではスタンダードな機械的推理、「誰彼」では行動派の探偵になるといったことから明らかなように、彼は事件に合わせて探偵特性を変えている。つまり、探偵特性とプロット制限の問題は残っているのである。
探偵アイデンティティ -有栖川有栖の2大探偵から
以上のような「探偵≒プロット」を成立させるために探偵に設定される人物造形や探偵活動への動機づけを、私は「探偵アイデンティティ」と呼ぶ。その探偵がどのような特性や能力を持ち、どんな謎を与えられ、どのように解くのかを規定する要因である。
この探偵アイデンティティがどのようにプロットに表れるかを、有栖川有栖の2大探偵・火村英生と江神二郎から考察する。
結論から言うと、火村シリーズの方がこの傾向を測りやすい。
火村の「人を殺したいと思ったことがある」という過去設定が生かされたうちは犯人の追求と断罪、いつしかそれを離れて(年齢が固定されて)からはロジックもしくはネタに特化した印象がある。探偵活動への動機づけが変化したことが、シリーズで扱われるプロットの方向性に影響を与えているのだ。
こうした背景から、近年の火村シリーズはプロットや物語との対応が薄い作品が多かったが、「ロジカル・デスゲーム」は久々に火村が担当する必然性のある作品となった。
火村シリーズの方が分かりやすいというのは、江神二郎の探偵アイデンティティの弱さに起因する。
彼が謎を解くのは、ただ分かってしまったため、日常レベルで面白そうだったため、身近な誰かを助けるため、殺人の連鎖を終わらせるためといった動機でしかない*2。
そのような動機は、シリーズの後半にさしかかった(短編を除く)現在において、ミステリとしてのプロットよりもむしろ物語に向かって生かされていると言える。
彼がどんな壁(事件)にぶつかり、どんな結果(真相)を出すのか。その先に、キャラクタたちはどんな行動を起こすのか。江神シリーズは完結するものであると予め決められているからこそ、その探偵アイデンティティは物語としてのプロットに影響を与えている。