叙述トリックに「男と見せかけて、実は女でした」パターンが多い理由

少なくとも現代において、外見やしぐさに関しては、一般に女より男のほうが窮屈ですよね。
例えば、女性はジーンズやスタジャンを着ていても何も言われない。「ボーイッシュ」と認識されるだけだったり、「格好良い」と言われる事もある。
ところが男性はそうはいかない。
スカートやフリル満載ブラウスなんぞ着ていようものなら、即変人扱い。
「何を考えている」「男がする格好じゃない」といわれたりする(のではないか)。
しぐさだけでもそう。
そういう「振る舞い」についてのプレッシャーを受けている「男」が実は「女」へ化けることのカタルシスは相当なものだろう、というのはよく言われます。

つまり、

  1. 女性の外見や言動は、男性のそれより自由度が高い
  2. 「男」が「女」に化けるカタルシス

といった点が「男と見せかけて、実は女でした」パターンが多い理由なんだろう。
ということを、「学校へ行こう!」の女装コンテストを見て再確認した。

石持浅海「扉は閉ざされたまま」

扉は閉ざされたまま (ノン・ノベル)

扉は閉ざされたまま (ノン・ノベル)

そうそう、倒叙の何が面白くないって、犯人もトリックも動機もバレてることですよ。
もちろん崩していく過程が主眼だっていうのは分かっているけど、それは「推理小説を読む楽しみ」とは違うと思っていました。
ところがこの作品は、犯人もトリックも崩しも書かれ、その上でまだ「動機」という謎と、その「推理」が残る。しかも犯人が死んだ後で推理するのではなく、犯人が生きてる状態で行われます!
この展開は楽しかった(もちろん倒叙本来の楽しみも満載です)。