何故私は「名探偵コナン」を素直に楽しめないのか

そりゃ、はじめは面白いと思っていた

多分、私が初めて触れた推理漫画だったと思う。
その頃は「推理って何ぞや」という程度で、「話を読む」ために読んでいた。それだけで充分面白かったし、今読んでも構成やエンターテイメント性の質の高さは評価している。

だが、「推理」ってそんなものじゃないだろう

アニメ化され、「名探偵コナン」の認知度はさらに高まる。当然ミステリファン以外の視聴者も多くいるし、中にはかつての私と同じように「推理って何だ」と思う子供もいる。
彼らも、マニアックな仕掛けを使わないミステリ、気軽に触れられる「面白い物語」として見ている分には良かったのだ。
しかし、問題は「アニメが原作を凌駕したこと」である。
もちろん、これは悪い意味でのことだ。
初期のような作りこんだ長編の犯人当てよりも手軽に楽しめるようにと、軽い短編が多くなった。その結果、「コナン」はミステリとして読まれ、あるいは見られることが極端に減ったのだ。
製作者サイドこそ、「推理という形のエンターテイメントです」と堂々としているべきだったが、そうこうしているうちにアニメはついに原作を使い切り、以後は見るに耐えないものとなってしまった。具体的には、しょぼいトリック、貧弱な人間関係、明白すぎる一発ネタなど。

それが果たして「エンターテイメント」なのか

現在において「名探偵コナン」は、エンターテイメントとして見られているのではなく、「なんか事件が起こって、ちょろちょろ調査して、解決してよかったね」という「型」の楽しみ、つまり金太郎飴と化しているのではないだろうか。
ちなみに映画は「ゴールデンウィークの行事」である。こいのぼり的な。
正直、製作側だって辛いでしょう。
金太郎飴や、第二の「サザエさん」を作っているのではない。あらゆる漫画、アニメは(もちろん小説やドラマも)すべて、極上エンターテイメントでなければならないのだ。

将来的にも辛いぞ

さらに私の心配は、「推理って何だ」と思っている子供(たいして詳しくもないくせに、自分の「知識」を子供に植え付けたがる大人も含む)が、現行の「コナン」を見て「推理ってこういうものか」と勘違いをしたまま、それを次の世代へと伝えてしまうことだ。
「推理」の部分を「エンターテイメント」に置き換えても良い。
要は、このままでは日本の未来は暗い、ということ。
だから、「名探偵コナン」を見る、あるいは読むその時その時が楽しかったところで、素直に「それでいい」とは言えないのだ。