道尾作品における子どもの役割
道尾さんは、子どもの「認知の限界」や「自己表現方法/表現の限界」をトリックに利用するのが上手いと思います。
具体的には、子どもの視点から、子どもにしか見えない世界を書くことでトリックを成立させる手腕が優れているのです。たとえば「花と流れ星」は、事件を記述する視点の違い(助手と少年)が謎を生んでいます。
少年/少女の書き分け
しかしその一方で、少年・少女を「子ども」とひとくくりにはせず、「少年の世界」と「少女の世界」をきっちりと区別しています。これが利用された傑作が「シャドウ」です。
シャドウは、道尾さんの少年ジェンダー観が最も冴え渡った作品だと思います。
というのは、少年視点・少女視点の両方を利用することが「少年にしか見えない世界」を際立たせ、最大の謎である「少女の行動の意味」を隠し通すことに繋がっているからです。
少年による認知/理解の限界はそのまま謎を生み、少女にしかない世界が現れた時にトリックが解かれるという構図をとっています。
こういった形のミステリは多くあれど、道尾さんの作品は「少女ジェンダー*1では書けない世界」が描かれている点が特徴です(向日葵などに顕著)。
私が女性読者であることを差し引いても、道尾さんが「少年の視点」で切り取った謎、またそれを利用したトリックは、少女ジェンダーで書くことのできないものだと言えます。私はもともと少女ジェンダーに興味があったので、シャドウのあまりにも鮮やかな対比は「こういう世界があったのか!」と新鮮に思えました。
まとめ
以上のことから、
- 少年/少女の書き分け
- 両者の視点による世界観の区別
- 特に少年の視点を利用した謎・トリック作り
といった点に、道尾さんのミステリにおける「少年ジェンダー」活用が伺えると思います。
特に3は少女に表現できない世界であり、面白い点です。
*1:ここでは少女の感覚による知覚、興味の対象、体験、その人物に向けられる視線などの意味で使っている