MIU404と感電

ドラマ「MIU404」の放送終了後、最初の金曜日。
ロス真っ只中でこのエントリーを書いている。

当初は主題歌が米津玄師だからと見始めたのにドラマ自体にもすっかりハマってしまい、ライブに行けない日々の中MIU404は大きな楽しみだった。

以下の文章では、各話の詳しい内容や真相に触れながら感電について振り返っていく。

第一話はそのテンポの速さについていくのに精一杯で、正直なところ私は脱落するかもしれないと思った。頑張って三話まで見よう。そこで続きを見るか決めよう。
終盤でかかった感電はその時が初公開。ブルースの色が落とされたその曲は、軽やかなリズムに対して怖いくらいの刹那性も持ち合わせているように聴こえた。
危険なシーンやまだ打ち解けていない志摩・伊吹バディのデコボコな印象と相まって、どこか仄暗さえ感じた。

迷える羊

そんな印象は第三話で一変する。
イタズラ通報を繰り返していた少年たちが機捜に助け出されるが、そのうちの一人は逃げ出して行方をくらませてしまう。
歌詞とストーリーとの噛み合い方が、それまでとはまるで違っていた。感電は志摩と伊吹のみならず、多くの登場人物の心情を細やかに代弁するような曲へと化けた。

また逃げた少年は、当時すでに発表されていたアルバムのタイトル「STRAY SHEEP」を連想させた。
これは迷い出た羊のたとえ(もしくは見失った羊のたとえ)と呼ばれる聖書のエピソードに由来する。ある人が持っている百匹の羊のうち一匹がどこかにいなくなってしまったら九十九匹を置いてでもその一匹を探しに行く、そのように私たちひとりひとりを――神のもとを離れてしまう人でさえも――愛する、という神の愛を説く話である。
社会から取りこぼされていく弱者を救おうとする桔梗隊長の姿勢にも通じるように思われる。

「三話まで見て決めよう」と私は考えていた。
決まった。続きも見ていく。

未知の上の句

ここから感電は恐ろしいほどの輝きを見せていく。

目標通りに人を救えた機捜を称える曲として、志摩のかつての相棒に声を届ける痛切な曲として、どうしようもなく不幸な物語に「返事はいらない」と幕を引く悲劇の曲として。
まるで一話ごとに「感電」という箱から新しい絵の具を取り出していくように、こちらの歌詞の解釈をどんどん書き換えていく。

白眉は第四話「ミリオンダラー・ガール」で、青池透子が最後に見つけた希望を反射した感電は、そこから続いていく美しい未来を予感させる爽やかな煌めきを画面いっぱいに注いでいた。
宝石を乗せたトラックがバスを追い抜いていく光景に「まだ行こう 誰も追いつけないくらいのスピードで」が重なった時は鳥肌が立ったものである。

Lemonが大きな悲しみをも受け止める下の句なら、感電はその先にどんな景色が映るのか、誰にとっても未知の上の句である。

余談だが、序盤あまりいいところのなかった九重刑事にこの回で快挙ともいえる見せ場が来たことから私は隠れ九重推しだ。
九重のバディである陣馬は一見ミスマッチなようで、九重の未熟なところも憧れの眼差しもすべて受け止められる偉大な人。彼も九重に助けられているし、九重のために自分のポテンシャル以上に強くなれていると思う。私はそういうバディに弱いんだ。
意識が戻らない陣馬さんの病室に詰めて語りかけ続けるきゅーちゃん愛だろ……。

女性バディについて

さて、ここで話を機捜の人物へと戻そう。
感電はまず志摩と伊吹の曲であるため、女性の存在を当てはめにくいのだが、MIU404には一組だけ女性同士のバディがいる。桔梗ゆづると羽野麦だ。
警察と犯罪被害者、保護する者とされる者。そうして出逢った二人は、しかし決して強者対弱者ではない。
第九話で羽野が切り札となった通り、共に戦う対等なバディなのである。

依然として男社会の警察で隊長を勤める桔梗も、共に戦う女性バディを持つ羽野も、女性にとっての希望だ。

最終話、桔梗は羽野と老後を一緒に過ごすのもいいと語る。ここで感電の歌詞が頭の中をよぎった。
シングルマザーの桔梗とゆたか、そして羽野。この三人はもう家族なのだ。
桔梗・羽野バディには、家父長制度に頼らない、あってほしい新しい社会への期待がこめられているように思えてならない。