「黒いハンカチ」と日常の謎の差異

以前Twitterでフォロワーさんとお話したことですが、北村薫加納朋子新本格における日常の謎の嚆矢とするなら、謎とは本来事件性のないところから観察によって「発見」するものであり、わざわざ探偵のところに持ち込まれたり異変として騒がれたりするものではないと考えられる。
また、直接的な犯罪でないからこそ、その謎を生んだ背景(個人の感情や人間関係)を突きつけられるため、よっぽどドロドロした感情や、小賢しい駆け引きや、近しい人への憎しみや妬みを含むものだと思っている。
本格ミステリにおいて、日常の謎ほど人の嫌な面を見なければいけないものもない。ついでに少女ほどふらついた論理を実行するのにふさわしいものはなく、心中ほど希望を夢見るものもない。


北村薫に次いで日常のイヤミスに意識的なのは倉知淳だと思う。猫丸先輩や辰寅叔父さんは、好む好まざるに関わらずそういうものが"見えて"しまうから、キッパリ「嫌なものを見た、がっかり」と言動に出す。
若竹七海あたりのキャラはもう少し冷静というか、それに向き合ったり乗り越えようとしたり対決したり、回避以外のコーピングを行えている印象がある。
探偵の特性、スタイルのひとつにコーピングを加えて考えてみるのもありかもしれない。