十二国記初読の感想

2月以来買いこんでいた本の中に『魔性の子』があった。

言わずと知れた大ベストセラー・十二国記のエピソード0にあたる小説で、目についた本をひたすら買っていた時、Twitterのフォロワーさんが「十二国記は『魔性の子』から読むといい」と仰っていたのを思い出して読んでみた。
中学生以来ファンタジー少女小説も冒険小説も新本格にも触れていたのに十二国記はずっと未読で、たぶん小野不由美の小説をちゃんと読んだのもこれが初めてだったと思う。

その後ひょんなことから(病気ではない)カンヅメ生活が始まり、せっかく時間が取れるならと十二国記本編も読み進めることにした。


はじめに言っておくと、未読の方の参考になることはおそらく何もないし、盛大に全体の詳しい内容に触れているので斜め読みくらいにするか引き返して是非ともまず『魔性の子』を読んでほしい。
あの薄気味悪さと、不思議な「あちら側」への憧れと恐怖を味わってから本編に進むことを私もおすすめする。

読み始めてから沼に落ちるまで

他に積んでいる本もあることだし、ゆっくり少しずつ読んでいければいいと思ってエピソード1『月の影 影の海』上下巻だけを買った。
が、主人公・陽子が現代日本から知らない世界に連れて行かれ、帰るための旅を始めた上巻を読んだところで私は早々と本屋に向かい3巻まで買っていた。

なぜそう思ったのか私もよく分からない。もともと少女活劇ファンタジーは好きだし、つっかえるところがない文章の口当たりも良かった(かなり大事)のかもしれない。
けれどそれなら下巻を読み終えてからでも良かったはず。
途中で買いに走ったのは、次へ次へと追いかけたくなるものに、つまりシリーズを通して語られていくであろう大きな物語の予感に惹かれたのだと思う。
(実際、巻をまたいでエピソードや伏線が繋がっていく様子も十二国記の魅力ではあるがこの時はまだ知らない)


で、次の日に下巻を読んでいたらいきなり推しができた。
陽子が助けを求めた先に登場した延王尚隆その人だった。涼しい顔してしれっと凄腕の長身の男、好みでしかない。
「まあでもまだ序盤だし分からないよね。ね」などと言い聞かせてみたが何か落ち着かない。

そんな抵抗も虚しく、その夜から午前4時までかけてエピソード2を読了し、3巻『東の海神 西の滄海』の半分まで読んでようやく寝たら夢の中で延王に化粧をさせていた。
……ビジュアル系なので好きの基準が「化粧させたい」なのである。


その3巻というのが陽子と同じく日本からやってきた尚隆が王になって間もない頃の、尚隆と彼を王に選んだ六太が主役の話。
後から思うと、よくあの時2巻で止まらず3巻まで買ったなと自分に感心する。新規ハイ真っ只中で「明日の朝本屋が開店するまで待ってね」とはとてもやっていられなかった。手元にあったから突き進んでしまった。
これか。まだ見ぬ推しに呼ばれたとしか思えない。


どれも尚隆の存在感が強すぎる。
あの性格の背景も作りこまれているのが良い。

だいたいシリーズものの3巻ともなれば、魅力的な新しいキャラクターが出てきたり、これまでにいたキャラにもあんな面やこんな面が出てきたりして目移りするものではないだろうか。
なのにタチの悪い男の過剰摂取でしかないって十二国記どうなってるの?

飄々としているようで、どうしたって表れてしまうその生き様を見たいと思ってしまう。
長年バンギャルやっているから、決して届かない立場にいて、その立場を愛されて、自らその生き方に喜びを感じて、自分を見上げる人をその目に映し愛を返す人が好きなんですよね。

なんだもう目移りなんてしていられないじゃないか……。

少女小説としてのポテンシャル

経験上こういう時は素直に落ちていった方が傷が浅くて済むので抵抗は諦めた。足先から鼻くらいまでは沼に浸かった気がする。


さてここから先のエピソードでは、ホワイトハートから始まった十二国記少女小説としてのポテンシャルが爆発していく。
『風の万里 黎明の空』では王として歩みだした陽子が多くの壁にぶつかり、そこに二人の少女が出逢って、それぞれ自分の生きる道を確かめていく。

私が特に好きなのは祥瓊だ。
公主の座から降ろされ、虐げられる最中に自分の過ちを知り、自らをアップデートして復活するプリンセス。終盤の誇り高い姿に胸を打たれる。
「復活するプリンセス」はガールズエンパワーメントの王道のひとつである。夢中になって読んだ。


また『図南の翼』もシリーズ中で一番好きな巻になった。
王になるべく、家族すら出し抜いて危険な旅に出る勇敢で聡明な少女を好きにならない訳がない。


考えてみれば『東の海神 西の滄海』にしても、私は推しが推しなので延王の物語として読んだが、どの視点に立脚しているかといえば六太の話だ。
あれは六太という少年(子どもといってもいいかもしれない)が尚隆を通して大人≒世界への信頼を獲得するエピソードだといえる。

そもそも陽子の出自からし貴種流離譚
泰麒に至ってはジュブナイルの文脈であるといえる。


少女小説とは、登場人物とともに少女が生きていくための物語だと私は思う。
もう年齢だけはいい大人だけど、物語に励まされながら生きていることだし少女小説をずっと愛していけるようでありたい。

白銀の墟 玄の月

『黄昏の岸 暁の天』まで読んで、『白銀の墟 玄の月』に行く前にもう一度『魔性の子』を再読した。


脱線するけど、『黄昏の岸 暁の天』で各国の王・麒麟が集まり討論するのを見ていると、比較して延王延麒の異質さが目立つ。
そもそも尚隆は麒麟という存在のことを理屈で理解していて、六太の抱える苦しみも分かってはいるけど、それよりも「俺のものだ」という心情の方が強いんじゃないかと思う。なぜならこの巻の尚隆はデウスエクスマキナが鳴りを潜め、わがまま三男坊が一切合切思い通りにいかず拗ねているように見えるからだ……。
蓬莱で失ったもの、麒麟が与えてくれたもの、そこに末っ子ちゃん特有の「目の前に見えているのは全部俺の!」を組み合わせると六太に対する態度が完成すると思われる。
でも六太にしても尚隆はアイネクライネby米津玄師みたいな存在だろうし、彼以外の主はいないだろう。何を言っているのか分からなくなってきた。
頭のてっぺんまで沼に浸かっている気がするが、心の中のアッテンボローに「それがどうした」と言ってもらおう。閑話休題


そして『白銀の墟 玄の月』。
戴国から姿を消した王と麒麟の行方を追いかける縦糸、王を討とうとした偽王に迫ろうとする横糸。織りなす模様が分かってきた、と思ったら怒涛のドミノ倒しが始まる奇跡のような伏線の嵐。
全四巻どころかこれまでのエピソードにさえ伏線は散りばめられており、その緻密な構成力に敬服する。小さかった泰麒が果敢に戦う姿もまた、少年の成長の物語だ。



『月の影 影の海』を読み始めてから既刊全部を読むのに10日間。銀英伝(本編10巻)でさえ2ヶ月近くかかったのに飛ばしすぎた。大変だったけど楽しかった。

この後は何をしよう?
東の海神も風の万里も図南の翼も再読したい。
長く付き合える友達に出逢ったような気分がする。