米津玄師に突然ハマった人の話

2019年10月、応援している名古屋グランパスがなかなか勝てずJ1残留争いをしている最中、あまりにも辛くて何か新しいことに目を向けたくなった。


ちょうどその頃ラグビーW杯関連でよくかかっていて、今までちゃんと聴いたこともなかったからと米津玄師のアルバムを借りてきた。
通っているバンドのメンバーと接点があってよく話に出てくるし、そろそろ米津以前/以後のJ-POPの文脈が分からなくなってしまうという危機感もあって、この波に乗ってしまえという気持ちだった。

その中のBOOTLEGというアルバムが気に入って、自分で買い直そうか1週間くらいずっと考えて、W杯最終日の朝に家を出る直前でまた考えて私は気付く。この後仕事なのに決勝戦の録画予約していない!
「ありがとう米津さんCD買うね!」
こうしてその日の夜に閉店間際のCDショップに駆けこみ、BOOTLEGと、まだアルバムになっていない最近のシングルをまとめて買ったのである。

集め始めて

この配信&サブスクリプション全盛の時代にわざわざCDを買うの? とよく言われる。時代に乗り遅れたんです……。
紙の本を愛するように、自分の手に持って重さと匂いを確かめられるからCDが好き。

米津の場合はさらにMV集やライブ映像作品がディスクで出ていなくてシングルに付帯しているDVDでしか見られないのと、ジャケットやブックレットのイラストも自分で描いている。よってCDさえ買えば視覚を含めた音楽表現の一式が全部手に入るのだ。買わない手はない、ヴィジュアル系だもの。アートワークもデザインも衣装もメイクもすべて音楽として一緒に鑑賞する。


もう少し言うと、私はBOOTLEGの爱丽丝という曲が好きで、この曲の歌詞カードを活字で読みたかったのだ。
米津の何に心を掴まれたといえば、私はまず言語感覚だった。歌詞の内容、モチーフの選び方、描写、メロディとの調和、韻の踏み方、反復で作られるリズム、その単語の辞書的なイメージを覆すような比喩がまるで短歌みたいだと思った。

どんなにテンポが速く言葉数が詰まっていても耳だけで言葉が聴き取れ(これができる人はそもそも書き方が上手い)、表現したいことも伝わるけれど、その行間にあるものを考えたりどこが良いのかを分析するには、一枚の紙で、ひと目で全文を読むことのできる歌詞カードが必要だと思われた。


しかし、そんな理由で手にとった中で一番良かった歌詞は、代表曲であるLemonだった。
恥ずかしい話それまで一度もまともに聴いたことがなくて、あれだけヒットしていたというのにリリースから1年以上経って初めて通して聴いて、売れるものには理由があるのだと素直に思った。



米津玄師 MV「Lemon」

あの日の悲しみさえ あの日の苦しみさえ
そのすべてを愛してた あなたとともに
胸に残り離れない 苦いレモンの匂い
雨が降り止むまでは帰れない
今でもあなたはわたしの光

サビの「雨が降り止むまでは帰れない」という歌詞が私は大好きになった。
光を歌う直前に雨という"日の差していない景色"を紙芝居のように挟むことで最後まで暗闇を振り払わないトリックに感服してしまう(歌詞の中に「あなた」以外の光や救いや味方はひとつも出てこない)。

悲しみや寂しさの中に取り残されている暗喩にプラス、これは私の解釈だけど

  • 「あなた」とともにやりたかったことがあって
  • 成し遂げられないまま離れ離れになってしまい
  • けれどそれを叶え乗り越えたらまた逢えるのではないかという希望が残っていて
  • 今もまだ叶えられていない
  • それでも生きていくしかない

だから「雨が降り止むまでは帰れない」のではないかと考えている。
恋愛の曲だけど「自分が思うより恋をしていた」だから、恋以外の感情を同時に持っていたという解釈は充分できる。
未だに暗闇の中で泣いているけれど、それでも今でも輝いたままの、どこかにいる「あなた」のことを思いながらだったら戦って生きていける。これはそういう曲じゃないかと思った。
かつてJ1残留争いに敗れ、応援していた選手が移籍して3年経とうとしているサポーターの感想である(2サビで泣いた)。

どこかであなたが今 わたしと同じような
涙にくれ 淋しさの中にいるなら
わたしのことなどどうか忘れてください
そんなこと心から願うほどに
今でもあなたはわたしの光

(※11/22加筆)

このブログを書いた数日後、彼が現所属クラブから退団することが決まった。

知らない方のために説明すると、選手の退団・移籍は何年も一緒に過ごして自分を勇気づけてくれた恋人や肉親がいなくなるのに近い。
入れ替わりの激しい世界だからいつか必ずやってくるものなのに、何回経験しても耐性なんてできない。いつも悲しい。
「生きていれば逢える」ではないのだ。「そのクラブにいて、ユニフォームを着てプレーしているその人」が好きだったから、退団すれば私の愛したその人は世界のどこからもいなくなってしまう。自分の記憶と集めたグッズや写真や思い出と、選手の中に残ったもの以外には。


3年の間に名古屋からさらに数人の選手が移籍加入したこと、試合結果を気にしながらそれを励みに生活して、情報だけでも集めたり、数試合だが近場アウェイに応援に行ったこともあり、私もそのクラブに愛着を感じる様になった。
何より、彼がキャリア上最も愛してきたことは伝わっていたから、そこを離れなければならない痛みは想像に余りある。

そこで頭の中をLemonがよぎった。
あなたが涙にくれているなら、私が何かを差し出してあなたが悲しまずにいられるのならそうしたい。
けれどただのファンの立場はこんな時に何もできないから、ただどうか良い道に進めるよう願い、できるなら応援し、あなたが幸せであってほしいと図々しく思っている。
あなた自身が光であるのと同じように、あなたが幸せでいることが私の光なのだ。

でも忘れてほしくないな。在籍してきたそれぞれのクラブで、あなたのことをとても愛していた人がいたことは忘れないでほしい。たとえもし私個人のことをもう覚えていなかったとしても。


自分ではどうにもならなくなった時、受け止めて、感情の置きどころとなってくれる音楽があって良かった。


(以下本文に戻る)
我ながら怖いな。ついでに言うとorionも同じような聴き方をしている。
私のことはさておき、こんなに文脈上降って湧いたようでありながら解釈の余地を作るフレーズを結びの言葉の直前に持ってくるのが天才じゃないかと思う。
彼の独特な湿度の低い声にも近い要素があって、情感をこめて歌っても、もちろん想像を掻き立てるボーカルではあるけど、曲の景色をまるごと全部ぶつけてくるようではない。その見えなかった、限定されなかった余白にこそ「ここはこういう意味ではないか」と膨らませたり自分の感情や出来事を当てはめていける。そこが魅力なのだ。


これをきっかけに旧譜も買い集め始める。
この時点で最初にアルバムを聴いてから半月だった。


ところで米津は女性、特に少女の一人称の曲も得意だが、不思議とエモーショナルな曲よりもこういった曲の方が逆に声が温かくなる気がする。
アイネクライネ、シンデレラグレイ、鳥にでもなりたい、あたしはゆうれいといった一群である。

少女の可愛らしさ、素直さ、恋をしている幸福感と盲目的なまでの感情、それらが突き抜けているが故の大胆な怖さ、臆病さ、あるいは何かに潰されてしまった弱い心の描写がとびきり上手い。少女性を持ったピュアな恋人を見守り愛するBlue Jasmineもこの作品群に近いと思う。
少女特有のパラドックスだらけの心性をあんなに上手に歌われては、「この人は手を離さないで、どんなに暗い道でも一緒に来てくれる」と勘違いする。気持ちの弱っている女に優しい音楽。
当時おおいに凹んでいた私は、危うく一瞬もっと暗いところまで行きかけた(慌ててAngeloに切り替えて引き返した)。

聖書を片手に

旧譜を集め始めた理由はもう一つあって、まだ歌詞サイト上で読んでいた頃にamenという曲があるのを知ったことだった。
洗礼こそ受けていないけれど、ミッションスクールに10年通っていたからプロテスタントに関心がある。
アーメンは祈りの終わりに唱える、「そうなりますように」という意味の言葉である。一体どんな曲なんだろうと興味が湧いた。
再生してみると打ちこみの音に低〜中音域で、細い声で見えない存在に語りかけるような歌い方。それこそカテドラル風のセットで見たい……(すぐに映像的な構想を練るのはV系あるあるだと思う)。


さて、ここから先の文章は私の個人的な解釈・想像なので、米津本人の制作意図や思想、信仰は分かりかねるという前提で読んでいただきたい。


聖書の引用は他にも多く、サンタマリアや笛吹けども踊らずのようにタイトルそのものになっているものもあれば、パプリカのハレルヤのようにキャッチーに取り入れられていたりもする。馬と鹿のMVの湖の上に立つシーン、洞窟に入る→死を暗示させるカット→出てきて力強く歩く姿はイエスの死と復活を思わせる。

米津玄師 MV「馬と鹿」Uma to Shika


Neon Signという曲には「バベルの塔」「塩の柱」が出てくる。
意外と塩の柱が日本語の歌詞に引用されることは珍しい*1。これは旧約聖書のエピソードで、罪を犯したソドムとゴモラという町を神が滅亡させようとした時、そこから「後ろを振り返ってはいけない」という約束で逃れさせるはずだったうちの1人が途中で振り向いてしまい塩の柱にさせられた、という話。町一帯が火で焼き尽くされていたことを考えると、歌詞の中の出来事もただの疑いではなかっただろうし、心象風景も焼け野原だったのかもしれないと想像が広がる。


Paper Flowerの歌詞に出てくる「積み上げた塔が崩れていく」も、歌い出しの「言葉が出ない」を伏線とするバベルの塔だと考えられる。

積み上げた塔が崩れていく
所詮その程度の知育玩具
私は未だにあなたへと
渡すブーケを作る陰気なデザイナー

ハレルヤと神様のパロディと祈りと世界の終わりまで出てくるのだから無理な解釈ではないと思う。「デザイナー」も造物主を連想させる。
合っているかは分からないけど(たぶんどれかは合っていない)、こんな風に自分の知識から想像して景色が繋がっていくと、曲のことをもっと好きになる。
幸福や喜びの象徴のようなブーケのイメージを覆す「陰気なデザイナー」という表現も私は好きだ。すごい感性をしている。

最初のラブレター

これまで聴いた中だとamen、Paper Flower、ペトリコールが好きでよく聴いている。

考えてみればもう何年も新しい音楽との出逢いといえばライブハウスで、予習もせずに対バンで見てCDを買うパターンがほとんどだった*2
最初に音源を手に取って、歌詞カードを読みながらじっくり掘り下げていくなんて久しぶりだ。いい経験をさせてもらっている。


機会があればライブにも行ってみたい。
fogboundと脊椎がオパールになる頃の映像を見比べると、広いステージでの動き方を身につけていてフロントマンとしての表現力が増している。「自分はこんなに弱い人間なんだ」と歌うことで共感した人が集まってくるように見えたから、LOSERとTEENAGE RIOTを聴きたい。

いつかお逢いしましょう。
生まれたて1ヶ月のファンより。

*1:ソドムがよく出てくる割にゴモラはあまり出てこない。創世記からはアダムとイブ、楽園追放、方舟、バベルの塔がよく引用され、ヴィジュアル系ではカインとアベルがやたら人気。

*2:もちろん人から教えてもらったり、たまに試合会場やチャントで知るパターンもある