米津玄師に突然ハマって二ヵ月経過した人の話

これまでのあらすじ

liargirl.hatenablog.com

それからの話

閉店間際のタワーレコードに駆け込んで米津玄師のCDを買った日から二ヶ月、めでたく音源が揃った。Jリーグは最終節を終え、チケット代の支払いに追われていないからどんどん使ってしまう。
インタビュー類はキリがないので「見つけたら読む」に留めているが、雑誌のバックナンバーを数冊買ったところで部屋の収納スペースが限界を越えていたことに気付き、私の生活空間を圧迫しているものを減らしていった。充実のオフシーズンを送っている。
なお退団した推し選手の次の所属先はまだ決まっていない。

さて、この間の米津の話題といえばまずツアーの当落発表で各地に喜びと悲しみの声が上がり(名古屋公演がなかったので私は応募せずTwitterでトレンド入りしていたのを見ていた)、LemonのMVがYouTubeで5億回再生突破。日本レコード大賞では本人と楽曲提供した菅田将暉まちがいさがし」が特別賞、Foorin「パプリカ」が大賞と優秀作品賞を受賞、その二組が紅白歌合戦に出場、嵐に楽曲提供し同じく紅白で初披露。
名実ともに現代J-POPのトップヒットメーカーであることを証明するような年末となった。


……ひょっとして私は大変な人を好きになったのでは?
(気付くのが遅い)

これからの話

実のところ前回の記事をアップした際、ある程度リスクを背負って書いたつもりだった。
どんな規模でもファンコミュニティで悪目立ちするとあまり良いことにはならないのと、特にキリスト教の話は敬遠されがちなので、いかに歌詞、ひいては米津の作家的興味の範疇にあるとはいえ長々と言及していいものかと危惧していた。
結果、よく読んでもらえた上に特に変なコメントを書かれることもなく、私のTwitterフォロワーも増減はない。感謝。

もしかして、ここまで大きな存在になるとあまりもにその人についての発言数が多く、こんなに小さなファンがSNSで言うことなどせいぜいフォロワーのフォロワーくらいまでしか行き渡らないのではないか*1
ここから少し気が楽になった。自分が好きだと思うことを、これからもしっかり言葉にしていこうと思った。


だから2020年も、美しいものを「美しい」と思って見つめられるように、鏡のようにその美しさを反射し伝えられるように、音楽を聴き、本を読もうと思う。

まさに聖書がそうだったのだが、何かの引用だったり先行作品等をベースとする作品に出逢った時、解読するための知識があると楽しみが増える。またそうでなくても、インプットしては溢れ出していく感想を書いていく上で「書き言葉を摂取する」というのは欠かせないことなのだ。
アウトプットすればまた新しいことが頭に入っていく。そうやって歯車は回るごとに、隣り合う新しい歯車へとその回転を伝えていく。

好きな本も知りたい。
好きなアーティストができると、まず私はその人のルーツと読んでいる本を知りたくなる。もともと本格ミステリを読んでいたのとV系が好きなので、どこのミス研出身か、誰の影響を受けているのか、横の繋がりまで含めたジャンルの文脈のどこに位置するのかという鑑賞の仕方をする。

考えてみればもう米津自身がそういったテキストとなりつつあり、もとはといえば日常のどこを見ても「いる」米津玄師という固有名詞を知るため、辞書を開くようにアルバムを手に取ったのだ。
本当にどこにでも「いる」。わざわざ近付いた訳でもないのに話題に出てきたり広告に鉢合わせたりするし、街でもラジオでも曲が流れ、スタジアムに行けばマスコットはパプリカを踊る。
Angeloのキリトさんが「米津玄師『Lemon』を初聴き20分で歌ってみた」という動画を披露した際は仰天した。Angeloにまで「いる」とは思わなかった。


米津玄師「Lemon」を初聴き20分で歌ってみた
面白いので是非見ていただきたい(宣伝)。


それから、たまにでいいから教会に通いたい。
すっかり足が遠ざかってしまったのだが、ミッションスクールに通っていた10年間はずっと礼拝と讃美歌と祈りがともにあったのだ。せっかく今こうして色々なきっかけになったのだからキリスト教にも立ち返りたい。

*1:だからといって人のことを好き勝手に言っていいということではない。サッカー界では「SNSで選手について発言したことは必ずその選手の目に入る」と言われている。礼儀は守ろう。