ミア・カンキマキ『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』

発熱のためPCR検査を受け、陽性で自宅療養しておりました。
出勤必須の職種なので隔離期間中はお休みに。体力も落ちるし咳は止まらないし、同居家族も疲れ切っている。
もはや誰もが罹患しうることとはいえ良いことがありません。隔離期間が終わったら少しずつ返していこう。

ひとつだけ良かったことは、見慣れてしまい流行から取り残されていたメイク観が一週間強制スッピン生活でリセットされて、ようやく変えられそうな気がしてきたこと。
それから、せっかくなら買ってからずっと読めないでいた分厚い本を読みました。


ミア・カンキマキ『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』


勤めていた会社を休職し、かねてから共感し憧れていたセイこと清少納言に会うべく京都を訪れたミア・カンキマキのエッセイ。
清少納言についての研究であり、著者の経験のドキュメントでもある本です。


京都ではシェアハウスで夏の暑さに襲われながら文献を探し、思うように英語資料が見つからず、周辺の情報から知るべく紫式部について調べたり。
シェアハウスの住人と食事をしたり、歌舞伎を見に行ったりと、文献研究の間の日常のできごとも大事に書かれています。
後世の清少納言があるイメージで語られがちなことに着目し、紫式部と比較しながら平安京の政治的権力争いについて考察する章も見どころです。限られた資料からここまで辿り着けるとは。
やがて著者はヴァージニア・ウルフの書評を読むためにロンドンに渡り、さらに京都に戻ってから東日本大震災も経験します。


人生の転換期に地球を半周して清少納言を研究し、セイの面影を追い続けた著者は最後にちゃんとセイに会えます。
それでも旅行記や自分探しといった感じはあまりないのは、いつも人生の友であるセイ(清少納言)を思い、真摯にセイを知ることで自分の人生や世界に向き合おうとしていたから。
読書とは世界との対話であると思わせてくれます。