映画「THE FIRST SLAM DUNK」を観ました

音楽映画としての「THE FIRST SLAM DUNK

先日、映画「THE FIRST SLAM DUNK」を観に行った。
アニメの名シーン特集などで断片的に有名なシーンを知っているだけで、原作コミックスはまだ読んだことがない。二ヶ月近くかかりきりになっていた事が一段落したところで、解放感を味わいたくて映画館に向かい、上映時刻にちょうど合うからとスラムダンクを選んだ。
スクリーンはもうすでに結構な割合で埋まっていて、普段だったら自発的にはあまり取らない前方の座席にした。

最初は音量が気になったのでライブ用のイヤープラグをつけていたが、OP曲のイントロのベースが鳴った瞬間に衝動的にそれを外した。
「これは音楽映画だ」と直感した。

元ゴール裏サポーターが見たスラムダンク

※以下は映画の詳しい内容に触れています



OP映像はそのまま本編の試合の入場シーンへと続く。
すると、コート上で鳴る音の種類の多さにまず驚かされる。選手によっても、バウンドの強さやカメラの位置によっても、ボールの音が違う。シューズもちゃんと体重が乗っている音がする。おそらく、バスケに慣れている人が何回か見ればドリブルのリズムだけで「今誰がボールを持っているのか」が分かると思う。リョータのリズムが一番良い。
前方の座席だからこそ、早い時間帯に気付けた。

ほんの一時期ではあるが、名古屋グランパスのゴール裏、最も声を出してチャントを歌い応援するゾーンに私も通っていたことがある。
バスケットの試合は観たことはないが、11人制サッカーと5人制フットサルなら分かる。そして、たとえ競技が違うとしても応援の要領はある程度似ている。
だから私は観客席にも注目した。バラバラだった者同士、押されている時間帯にはつい気落ちして応援さえも止まってしまうこともあった。が、あるプレーをきっかけに追い上げが始まると、選手たちの走る姿に重ねるように応援も盛り上がっていく。これだ! 苦しい時も前進する時も、一緒に闘うのだ!

私は名前を呼んでほしいと求める選手が好きだ。
応援したいと思う気持ちに、それだけで応えてもらえているような気がして、頑張ってほしい選手に声をかける時は必ずその人の名前を呼ぶ。
スラムダンクの主人公たちが属する湘北高校バスケ部にもそういう人がいる。三井寿である。
私はもうこの人のことが好きになっていた。
これから原作コミックスを読むところなので彼の過去についてはだいぶ怖い。しかし、コートの上にいる誰を応援したいかと思うと三井なのだ。もう決まった。

そういう訳でほとんど何も知らないまま観た映画だったが、この時にはすでに「もう一度観たい」と思っていた。

辛かったのはこの後の、暴走する思春期の少年たちや、試合中の桜木花道の負傷だ。

私にもある。
倒れている選手に起き上がってほしくて声をかけたことが。
痛むのを押して立ち上がる選手を、拍手してピッチに送り出したことが。
「好きです、応援します」ときれいなことを言って、大怪我をさせるまで人を追い込んだことが。
先の見えない真っ暗闇のチームに「ずっといてほしい」と願ったことが。

選手生命を失うかもしれないのに無茶しようとする花道や、彼を止めなかった先生を見ていると、自分のしてきたことが思い出されて辛かった。
なのに、そんな花道を見ても、まだ勝つために闘おうとしている。

直後に観た映画「BLUE GIANT」にも近い要素があって、なにも四旬説*1に立て続けにこんな思いをすることないではないか。
私は思った。「三井のあの台詞をもう一度聞かないと気が済まない」。
スクリーンを出ると、劇場ロビーの券売機に向かった。
「この音が俺を甦らせる」と言って、自分のシュートで自分を救う三井の姿を観たかった。

ドルビーシネマ上映

音が良いと分かれば、人生初ドルビーシネマ上映にも行ってみたくなった。
ドルビーシネマとは映像・音響の極端に良い環境で観られる箱のことで、ガイダンスによれば音の出てくる方向も前方のスピーカーだけに頼らず360度から味わえるそうだ。
これがすこぶる良かった! 音のする方向が画面と一致していて、たとえばボールが後ろから飛んでくる時はその音も後ろから前に向かって鳴る。
通常のスピーカーでは頭の中で方向を整理し直さなければならないが、ドルビーシネマならこのストレスが解消される。おかげで試合に集中できた。

個人的に流川のボールの音の重さが気になる。
矛盾するようだが、流川の場合は、たとえバウンドの音がなくても雰囲気で「今ボールを持っているのは流川だ」と分かると思う。叶うものなら目隠しをして聴きたい。

コート上の音だけでなく、劇伴の音楽を高音質で聴けるのも嬉しい。リョータがドリブルで駆け出す時の劇中歌Double crutch ZEROが特に良くて、私はこんなに鋭いギターの音を何年ぶりに聴いたのだろう。10-FEETのアルバムも買った。

だからこそ、三井の3ポイントを決めるあのシーンの静寂がいっそうグッサリと刺さる。
私はあの流川のパスが本当に凄いと思っている。日本一と言われる選手とマッチアップして、ようやくリングの前まで迫ったあのタイミングでパス出せる? あの瞬間まで消えていて誰もマークしていなかった三井に、三井なら決めると信頼して。

応援上映会も行きたかったのだが、チケット発売時刻に販売サイトに繋がらないでいるうちに完敗した。そう簡単には行きませんでした。
行きたかったな。推しの名前を呼ぶ声が大きいことだけが自慢です。なにせ陸上トラックを挟んでさらにピッチの向こうのゴール前にいる選手に届くように声を出していた。実際に届くかはともかく、私はそういうサポーターだった。映画館だからそこまではしないけど、でも。
三井の名前を呼びたい。

*1:キリスト教で、イースターの準備期間。イエスの受難、十字架への道行きを思って過ごす。

サラ・ピンスカー『いずれすべては海の中に』

短編「オープン・ロードの聖母様」を読んで泣きたくなるような懐かしい気持ちになった。
演奏を録画してホロ技術で再生する"ライブ"が当たり前になった時代で、生の音を求める聴衆の前で演奏するため旅し続けるバンドの物語です。
この短編が書かれたのはいつなんだろう。コロナ禍のロックダウンを経た時代のように思えるけれど、その時代の前、確かに私はライブハウスの空間で音を浴び、そのために全国を駆けるバンドを愛していた。

『いずれすべては海の中に』は主に音楽SFの短編集で、どれも音楽がやがて人を見たことのない場所へと連れて行ってくれる物語である。その書き方がとても良い。
短編ならではの切れ味なら「孤独な船乗りはだれ一人」を推したい。これもまた音楽による自己表現の話です。

奈倉有里『夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く』

いい意味で真面目で、エッセイで一番と断言できるくらい読みやすくて好きな文章だった。
研究者・翻訳家である奈倉有里さんの、ロシア文学を研究するため留学されていた学生時代のエピソードが書かれています。静かでありながら強烈な熱を持っている本です。
ロシアに限らずウクライナ文学をはじめ他の言語で書かれた文学、言語そのものや当時の国同士の情勢についても。

あらゆる時代の文学を、人はなぜ書き、読み、求めて、研究してきたのか。
国や言語、思想によって人が分断されてしまわないよう、この2022年に強くおすすめしたいです。

療養中にあってよかったもの

ひとつ前のエントリーにも書いたが、先月とうとうコロナウィルスに感染し、発熱で自宅療養していた。
隔離期間が明けて外に出られるようになると、「実は私も濃厚接触者になっていた」「友達がかかったと聞いた」「親戚が」等々ほとんど会う人会う人皆さん全員が言われる。ここ二ヶ月ほどはSNSを見ても常に誰か療養している。
そんな中、個人的に「これがあってよかった」というものがいくつかあったので備忘録として書きとめておく。
色々な意見や家庭環境、生活スタイルがあると思うので、医療機関が推奨するようなリストと合わせながら参考程度に見ていただきたい。

  • 常備している消耗品のストック各種多め

理想を言えば仮に今から二週間、外出できなくなったとしても持ちこたえられるストック。疲れ切って買い物に出るどころではなくなった時に備えるイメージで揃えておくといいと思う。日頃から楽してしまおう。ちなみに筆者は同じ靴下を何組も持っているタイプ。
洗剤は絶対に切らしてはいけない。食器用も洗濯用も。不幸中の幸いで、母が濃厚接触者になったものの買い物は許されていたので何とかなったが、あれがなくなっていたらと思うとゾッとする。 非常時にあれこれ考えながら買い物リストを作る余裕はない。
隔離期間中になくなったものを終わってから買いに行くのも大変。一会計ですごい金額になった。

普通のティッシュは言わずもがな、保湿ティッシュもボックス五つくらい連なっているセットで用意しておく。用途は同じでも、花粉症シーズンのごとく頻繁に鼻をかんだり顔を拭いたりする際のダメージが減る。

  • 大量のゴミ袋

ずっと家にいるとゴミの量が尋常でない。家族同士の接触を避けるためのペーパータオルや紙コップ、ポリ手袋等(これは単身世帯でも必須ですね)もあり、普段の数倍は発生する。そして回収業者の方に感染させないためにも密封して捨てなければならない。
ゴミ箱にセットするビニール袋、ペーパータオル等を捨てるため水回り各所に、小さなゴミを捨てるため、それらをまとめて捨てるための地域指定ゴミ袋など。

  • 大量の着替えと下着とタオル

パジャマで寝込む、発熱で汗をかいて着替える、個別に手を拭くためのタオルなどなど洗濯ものも多い。
乾燥かけてガンガン使える綿の肌着があるといいと思う。タオルに関しては箪笥で眠っていたバンドのグッズが大活躍した。

  • 保冷剤

ケーキ買った時のものを取っておく。発熱時に使う。
藤の花の柄の手ぬぐいに包んで使うと蝶屋敷で治療されている気分になれる。

  • レトルト・インスタント食品

療養食としてのおかゆ、インスタントの麺類、スープ、冷凍食品、ゼリー飲料など。災害用のローリングストックを兼ねて。
筆者は丸美屋の鬼滅のカレーも常備している。温めなくても食べられる、元気がなくても食べやすい甘口、子ども用なので量も多すぎない。もともとはおまけのシール目当てで買ったのだが、療養食・非常食としてもうってつけだと思う。なお推しのシールはまだ出ない。

  • お菓子

やさしい食事優先ではあるが、食に興味の薄い私でも三日で飽きた。ただでさえ刺激の少ない日々で変化がないと辛い。
そろそろおかゆ以外のものも食べたい、となったら体が疲れないような小分けのクラッカーやノンフライスナック菓子から。食事するにも体力が必要なんですよ。快復してきたらポテトチップスとか、季節の味も欲しいよね。アレルギーに気をつけつつ、なるべく色々な種類のお菓子があるといいと思う。

専用端末でもスマホアプリでもwebブラウザでも青空文庫でもいい、とにかく読むものがなくならないという安心感。端末ごとアルコールティッシュで拭いて消毒できるのもいい。
筆者も紙書籍派で、実際この隔離期間中に積読を崩し良い本にも出会えたのだが落とし穴があった。丸ごと積読タワーだと思っていた一群が、なんとすでに読了した本のタワーだったことが発覚したのだ。腰を抜かすところだった。あってよかったkindleアンリミテッド。最近は光文社新訳文庫でよくロシア文学を読んでいる。

  • ありとあらゆる箇所を保湿するもの

基礎化粧品の他、ボディ用、ニベアのクリーム、リップクリーム、ネイルオイル、アイクリーム、フェイスマスク、ヘアオイル、思いつくもの何でも。むしゃくしゃしてお金を使いたくなった時にこういうものを買っておきましょう。ストレス発散になる上に罪悪感が少なくて済む。
心身ともにダメージがひどいので、ケアするためのものは必要です。香りつきでもいい方はクナイプのビオオイルがおすすめ。
ハンドクリームとニベアの青缶は非常用リュックにも入れてローリングストック。

  • ボディシートとドライシャンプー

ドライシャンプーは防災を兼ねて一家に一本用意しましょう。お風呂に入る気力がない日にも使える。
いろんなタイプがあるので、余裕があれば普段から試して自分に合うものを見つけておくといいと思う。
私はピジョンの泡タイプのものが好き。スプレーだと香りつきのものが多く、ミストも手軽だが水分を拭き取りきれないくて冬場に凍える。泡タイプも液体ではあるが、拭き取りやすく寒くない。無香なら避難所などでも使える。

  • 冬用毛布など

体温が39℃近くなると、相対的に周りが寒く感じられる。真夏なのに、冷房を切って冬用毛布+羽毛布団+さらに上に毛布をかけても涼しいくらいだった。
これが朝になると今度は汗のついたシーツ(薄手の大きいタオルケットをシーツ代わりにしている)を洗濯したくてたまらなくなる。冬場は事情が違うと思うが、春夏秋なら代謝のいいタイプはシーツの洗い替えもほしい。

ミア・カンキマキ『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』

発熱のためPCR検査を受け、陽性で自宅療養しておりました。
出勤必須の職種なので隔離期間中はお休みに。体力も落ちるし咳は止まらないし、同居家族も疲れ切っている。
もはや誰もが罹患しうることとはいえ良いことがありません。隔離期間が終わったら少しずつ返していこう。

ひとつだけ良かったことは、見慣れてしまい流行から取り残されていたメイク観が一週間強制スッピン生活でリセットされて、ようやく変えられそうな気がしてきたこと。
それから、せっかくなら買ってからずっと読めないでいた分厚い本を読みました。


ミア・カンキマキ『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』


勤めていた会社を休職し、かねてから共感し憧れていたセイこと清少納言に会うべく京都を訪れたミア・カンキマキのエッセイ。
清少納言についての研究であり、著者の経験のドキュメントでもある本です。


京都ではシェアハウスで夏の暑さに襲われながら文献を探し、思うように英語資料が見つからず、周辺の情報から知るべく紫式部について調べたり。
シェアハウスの住人と食事をしたり、歌舞伎を見に行ったりと、文献研究の間の日常のできごとも大事に書かれています。
後世の清少納言があるイメージで語られがちなことに着目し、紫式部と比較しながら平安京の政治的権力争いについて考察する章も見どころです。限られた資料からここまで辿り着けるとは。
やがて著者はヴァージニア・ウルフの書評を読むためにロンドンに渡り、さらに京都に戻ってから東日本大震災も経験します。


人生の転換期に地球を半周して清少納言を研究し、セイの面影を追い続けた著者は最後にちゃんとセイに会えます。
それでも旅行記や自分探しといった感じはあまりないのは、いつも人生の友であるセイ(清少納言)を思い、真摯にセイを知ることで自分の人生や世界に向き合おうとしていたから。
読書とは世界との対話であると思わせてくれます。

バチカン奇跡調査官シリーズを読みました

『悪魔達の宴』までの感想はこちら。
liargirl.hatenablog.com


10月初旬には既刊すべて読了していましたが、もう一度最初から読んだり「ロベルトの女が干物であってはいけない」と思って顔タイプ診断を受け直したりで遅くなりました……。
読んでいた一ヶ月ずっと睡眠時間を犠牲にしていてフライトオアファイトの状態だったらしく、食生活がガタガタになってしまったので現在立て直すべく頑張っています。
顔タイプ診断の話はまた書けたら書きます。ソフトエレガント/フレッシュになりました。


さて、シリーズの後半は黒幕がより目立つようになり、短編にしか登場していなかったキャラクターも本編に絡むようになる。
長編が続いてももたれない、まるでのどごしつるつるの冷や麦のような文体のおかげで次から次へとおかわりの手が伸びてしまい『天使の群れの導く処』まであっという間だった。

総じてバチカンをめぐる謀略サスペンス色が濃くなっていく中、『ジェヴォーダンの鐘』は純粋な奇跡調査のエピソードとなっている。
小さな町の教会で起きた奇跡の話だが、長編一冊にするだけのフィールドワーク、異端の聖書解釈にまで話は及び着地点も良い。何といっても推しの説教を聞ける。これほど望むことがあるだろうか。
悩めるロベルトも帰ってくる。「シンフォニア 天使の囁き」や『原罪無き使徒達』以来生きやすくなった感のあるロベルトだが、もともと昔ながらのカトリシズムに忠実な人なのだ。自分は不信心だと言いながら、彼は神の愛を求めてやまないようにも思える。


私はシリーズ後半の長編ではこの巻と『楽園の十字架』が好きだ。
平賀が「あなたを死なせたくない」なのに対してロベルトは「あなたとなら死んでもいい」で、その実「あなたと生きられてよかった」だから胃もたれを起こした。のどごしつるつるの冷や麦と喩えたのは撤回する。
というかこのシリーズ、主役が死なないので比較的安心して読んでいられるが、事実上心中しているし、片割れを看取っているし、死の間際のゆるしの秘跡を行っているし、破門されるとしても一緒だと思っているし、遺言を聞かせているし、死に至る病にかかる部屋から同じ香水をつけてでてきたりするし、何なんだ……?


短編では、小説としての面白さで「ゾンビ殺人事件」を推したい。
何十体ものゾンビが発掘される奇妙な事件を捜査する、フィオナの奇抜な行動といったら! 『アダムの誘惑』の名演技といい輝いている。もう大好き。私も蜘蛛の巣着る。顔タイプはどこへ……


去年からカトリックのことも自主的に勉強しているのだが、バチカン奇跡調査官にもカトリックの時事ネタがばんばん入っているので、時間ができたら教皇フランシスコの回勅の本を読みたいと思っている。
年内は日本語ミサの日に休みがないため来年の目標はそれにしたい。

チャーリー・N・ホームバーグ『紙の魔術師』三部作

しばらく前にジャケ買いした『紙の魔術師』を読んだ。
舞台は20世紀初頭、魔術が高等技術とされた英国。この世界の魔術師は様々な材料からひとつと契約を交わし自在に操る。
魔術学校を主席で卒業した主人公・シオニーは、不本意なことに自らが望んでいなかった紙の魔術を実習することを決められ、折り師エメリー・セインに師事する。セイン師の気遣いや教育の甲斐あって折り師の修行に積極的になってきた頃、急な来訪者に襲われたセイン師を救うべくシオニーはたったひとり紙飛行機で屋敷を飛び出した――。


可愛らしい表紙から少女向けファンタジーだと思って読み始めたのだが、この時点で私には違う意味で刺さりまくっていた。師弟かつ後見人というものに目がないのだ。
この後はというと、邪悪な魔術師にえぐりだされたセイン師の心臓の中を冒険するというなかなかの急展開となる。何度も命を狙われながら、戦いを通してシオニーとエメリーの距離は縮まり、師弟は宿敵を追いながら恋に落ちていくのである。


結構このシリーズ、血みどろだし人も死ぬ。
しかしジュブナイルやファンタジー、何より「魔法使いの弟子」が好きな人には是非おすすめしたい。
もし気に入ってもらえたら、三部作の最後を飾る『真実の魔術師』で、二人の恋と魔術の集大成を見届けてほしい。