米津玄師に突然ハマって一年経過した人の話 〜STRAY SHEEP〜

米津玄師の音楽を聴くようになって、そろそろ一年が経つ。
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2019シーズン終盤の悲しみを慰められ、年が明けて「今年は本を百冊読みたい、できれば教会にも行きたい」と目標を立てた。

けれどすぐにコロナ禍がやってきて、事情があって現場と呼べるものには今も行けておらず、時間ができたため幸か不幸か百冊はあっさり達成した。日曜に休みが取れたら教会に行っている。

迷える羊

夏にリリースされたアルバム「STRAY SHEEP」の話をしよう。

表題曲「迷える羊」では混迷する時代を舞台演劇に見立て、
①この時代に生きる生身の人間の苦悩
②役柄のように何かを負って世界に向けメッセージを発するペルソナ
入れ子構造になっている。

①では監督は沈黙、脚本の終わりは書き上がっていない。救い主を生むマリアも作中にはいない。
そんな中で②の米津はかぎ括弧つきで、祈るように、それでも堂々と、増え続ける迷える羊たちに向かって歌う。

「君の持つ寂しさが 遥かな時を超え
誰かを救うその日を 待っているよ ずっと」

「迷える羊」はもともと新約聖書に由来する。
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ここで書いたことの繰り返しになるが、ある人が百匹飼っていた羊のうち一匹が群れを離れたら九十九匹を置いてでもその一匹探しに行く。そのように私たちひとりひとりに向けられる神の愛を説くエピソードである。

この曲が表題作であることを踏まえると、私は「優しい人」にもイエス・キリストの面影が重なるように思えてならない。
エスは伝道中、弱い者や病人によく目を向け癒していたからだ。

戻れない世界の先

アルバムの新曲では、私はカムパネルラとDécolletéが好きだ。

カムパネルラはタイトル通り、米津が愛する宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を題材にした曲で、亡くした友が残していった傷を抱え、その人を憶えて生きていくと歌う。夢、リンドウ、クリスタルなどは『銀河鉄道の夜』に出てくるモチーフだ*1

この曲は歌詞やアレンジも好きだが、何よりも、憂いを帯びて深く潜っていくほど透明さを増していく米津の中〜低音域が美しいと思う。
「君」を想う切なさと終わる日まで続くであろう痛み、「あの人の言う通り わたしの手は汚れていくのでしょう」の切れ味も推したい。

その痛みはひまわりにも引き継がれていると思う。
この曲はLAMP IN TERRENの松本大がギターで参加している(真夜中に情報解禁されて目が覚めた)。

Décolletéは私がタンゴ好きだから。
この曲だけは最後まで光の方へ浮上しない。

アルバムの最後を飾るのはカナリヤ。
私はカナリヤとカムパネルラは対になっていると思う。違うのはカムパネルラの「君」が過去にしかおらず、カナリヤの「あなた」は今も未来も「わたし」とともにいること。
もう戻れない日々のことを覚えたまま、変わっていく未来の中も最後まで歩いていこう、と肯定の言葉を噛みしめるように繰り返す。
生き方を大きく変えなければならなくなったこの時代の人に「見失うそのたびに恋をして 確かめ合いたい」と届ける、あまりにも優しいメッセージだ。

あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

ヨハネによる福音書 13章34節

一年かけて知ったこと

米津玄師の音楽を聴くようになって、そろそろ一年が経つ。

辛かった時に受け止めてくれた米津の音楽が好きだから、彼が表したいもの、興味のあること、どんな本を読んできたのかを知りたかった。
知りたいと思ってから動き出すまでが速くなって、だから本を読んでいった。
それを追求していくことで、自分は何が好きなのか、何に興味があるのかといったことも気付かされた。

生活からライブがなくなり、去年まで好きでライブに通っていたアーティストを軒並み聴けなくなった時はずっと米津の曲を聴いていた。
ライブに行かなかったからこそ聴いていられたなんて皮肉なことだけど、本当に助けられたのだ。

この一年間、米津は私にとって光の在処を知らせてくれる人だった。
願わくは次の一年もそうでありますように。

*1:ちなみにこの文章はアートブック版のブックレットを見ながら書いているのだが、これページが180度開く